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般若堂寫眞舘

オリジナル。近代っぽいファンタジー。

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07:古記録より





【古記録より】



某丁ニ何兵衞とて蘭癖者住居たり。嵜陽ニて蘭英之語を脩メ寫眞術を能くし頃日帰國、於郷里撮映塲を開く。于時文久元治之比也。未た攘夷とて異國之文物を忌ム者多かりけるニ、藩主又非常之蘭癖ニて被為在、人皆密ニ蘭殿と奉呼たるに、何兵衞か撮映塲開塲之事を被伝聞被為喜、金若干を賜ふ。此か為メ何兵衞愈以て天狗とハ成にけり。

或時蘭殿何兵衞を被召、余か寫眞可撮と被仰。何兵衞か喜如何計りなる歟不知、奉答申、一介之賤商ニして今日斯様之大幸に逢ハ嘗て無御座事ニて恐悦至極奉存候、乍不肖此何兵衞、屹度最善最良なる御肖像相撮奉可申上候とて、急き皈りて仕度為す。
而して調度新ニせんと、何兵衞在嵜之節より知己なる商賈或右衞門え依頼す。或右衞門か齎来る中ニ西京丸とて籐もて編上たる倚子壱脚有之、何兵衞いたく此を気ニ入り重寶とす。

於是攘夷過劇之徒何兵衞の被召て蘭殿か寫眞を撮んとするを相聞て云、蛮夷之妖術を以て上を惑はす大奸物、速ニ不可加誅は非すとて同志相募り何兵衞を除んと謀るニ、爰ニ甲之介なる小壮血氣之者有之、謀ニ遑あらす即今可斬棄と主脹して不已。甲之介ニ同志あり、乙四郎・丙太夫又同して則當夜決行とそ相談す。
然ニ丁次郎とて又甲介・乙四等か同志あり、乍去同志と謂ふも小異有之て、丁次郎か攘夷ハ則蛮夷之業を悪むニ非す、勤皇正議在之處、從塲合は夷狄之術をも用ゆへきなれとそ按し居たれは、丁次郎云、寫眞術一躰何之害有之歟、徒ニ商賈か如きを殺るハ我意ニ非すとて甲之介等か擧を使停止んとす。於此乙四郎甲之介ニ賛し丁次郎か意ニ反駁して、丁次臆たる歟、卑賤之賈徒以夷術今將ニ君を己か商賣之利財とは為んと欲、以何無害と歟云、豈能捨置歟となん丁次郎を罵りたる。丁次郎歎息して答ニ、臆せしニ非す、雖然殺生ニ益無く却て後ニ憂を殘ハ我意ニ非る也。乙更ニ詰問して云何憂ふ歟と、丁答、衆之怨、君之疑是也、衆ニ被怨君ニ被疑ハ於革命百千之害有之て壱之利も無之也。乙丁論駁不一定、於是甲之介蹶然云、丁次殿か言尤可然也、乍去何兵衞を殺すハたはむれニ非す代天加誅者ニて大義あり、何兵衞蛮術塲開しを忌厭者不少、又君を己か商ニ取込喰物ニせんとなん有之ハ天下之大罪、可赦處毫も不可有之。丁次郎不為返答、於是終ニ全く當夜決行相定たり。

何兵衞斯とハ露程も不相知、新ニ舶来絨毯、「テヱフル」とて此亦舶来之卓、西京丸なる籐倚子、屏風刀懸其外大小道具類相調居たり。殊ニ西京丸を愛る事甚敷、此倚子ハ蘭殿之御為ニ而已用ゆへしとて能々磨上け絹にて包ミ秘藏す。
然處、早や夜も更たる亥之下刻、ほとゝゝと戸を叩て呼者あり。何兵衞怪しみ窓格子之端より窺へは、若衆弐人立居たり。其腰ニ添たる手許を見ニ、月影を映して皓きあり、鯉口きつたる無粋之段平、将ニ打抜んとの摸様也。復た戸を叩て若衆の呼ふニ、何兵衞殿ハ在宅なる歟と、其音聲の落着たる、人とも鬼とも不即りけり。
何兵衞裏口より逃んと欲し取も不敢取裏戸を開けり、其處え待懸居たるハ又他なる若衆壱人、何兵衞を見留るや賊の逃るそと喚はりて抜て打つたる腰間一閃、何兵衞か袂を断切りたり。何兵衞アレと叫てまろひつゝ四ツ這ニなりて尚も逃んとする處え表の弐人忽ち到り國賊如何して逃す者そとて振下す白刃何兵衞か右肩より背中を破けり。
此三人即甲之介・乙四郎・丙太夫也。丁次遂ニ来らす、但委嘱有之ニ從て丙太え斬奸状を託す。丙太夫其状音読之上終ニ何兵衞か首を落したり。直ニ首を木綿ニ包み寫眞店之前え竹突立頂ニ何兵衞か首据ゑ斬奸状をは差掲けたり。
其後撮映塲如何相成たる歟不知、又甲介・乙四・丙太・丁次何レも其後如何相成たる歟不聞、唯見聞したる而已記之。

巷説ニ曰、何兵衞己か才を恃む所甚敷、疎るものも不少。撮映塲又甚た評判悪敷、落書風説妨害ニ遭ふ事多かりけるとそ。
又巷説ニ曰、何兵衞横死後或右衞門撮映塲え到り何兵衞店調度之内西京丸而已持歸たるよし、其訳不聞。

偖も可奉哀ハ蘭殿也ニ、其後寫眞之事一切御停止被為在由也。




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